1962年生まれの39才。独身(注:2001年当時)。小学生時代はテレビの「ウルトラ・シリーズ」、特に「ウルトラ・セブン」に夢中だった。特に「腕時計型トランシーバー」は一番のお気に入り。自分もいつかこんな物を作って見たいと思っていた。中学生時代は海外放送を聞いては、受信確認証(通称ベリカード)集めに夢中。高校・大学時代はアマチュア無線にはまった。50MHzを中心に活動。「CQ Ham Radio」は毎月買っていた。自作も熱心で、2SC1307を使って10Wのリニアアンプを作って、まともに動いた時は本当に感激した。
1984年に大学の電子工学科を卒業後、岩崎通信機に入社。サンプリング・オシロスコープの開発部隊に配属になった。当時の上司に分布常数回路及びマイクロ波のイロハと、文章の書き方を徹底的に叩き込まれた。半ベソをかきながら「修業時代」を過ごした。その甲斐あってか、1987年に最初に設計した製品が世に出た。素直にうれしかった。
1988年、生まれて初めて飛行機に乗って海外出張を経験。つたない英語で二週間アメリカ・コロラド州で過ごした。普段しゃべっている言葉は違うけれど、エンジニアには「エレクトロニクス」という共通言語がある、と強く感じた。
1994年11月、岩崎通信機を自己都合で退社。アルバイトで生計を立てながらプータロー生活を始めた。1995年1月17日午前5時46分、兵庫県西宮市の自宅アパートで阪神大震災に遭遇。幸いアパートは倒壊を免れた。自分もケガが無く、両親・兄弟・親戚一同も無事。不幸中の幸いであった。だがアルバイト先は地震でぺちゃんこ。なんとか機材を引きずり出して仕事を続けた。社長一人と私しかいない小さな会社だったが、社長に技術力があり仕事は面白かった。震災直後は、社長宅と私の自宅アパートが仕事場。自宅で半田付けしながらカレーを煮込んだり、社長宅とモデムで結んでファイルのやりとりをしたり、と普段では出来ない体験をした。ハードウエア・デバッグ用にと、岩崎通信機の昔の上司が、使われていないオシロスコープを貸してくれたりもした。人の好意が身にしみた。
To be continued...

コメント (2)
あの震災は大変でしたぁ〜。
微力ながら、芦屋のとある中学校の体育館で仕出しの手配などさせていただきました。
生きるって事!を教えられた気がします。
投稿者: DAN | 2008年07月25日 23:50
日時: 2008年07月25日 23:50
DANさん:
>微力ながら、芦屋のとある中学校の体育館で仕出しの手配などさせていただきました。
そうでしたか・・・遠くからありがとうございます。
あの当時は、人と人のつながりの大切さが、身にしみてわかりました。
殺伐とした事件が多いこの頃ですが、本質的に人は、つながっていて、一人では生きてゆけない動物なのだと思います。
投稿者: おじぞう | 2008年07月28日 00:21
日時: 2008年07月28日 00:21