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2009年02月 アーカイブ

2009年02月10日

鬱のち晴れ、かな?

 え~、毎度おなじみの、「鬱」期間が終わって、なんとか「晴れ」期間に入ったようです。

 何度かこのBlogでも紹介してますけど、ここ数ヶ月「鬱期間≒人間として普通に生活出来ない期間」と、「晴れ期間≒人間として普通に生活できる期間」の間隔が狭くなっていて、2週間元気だったけど、2週間ダウンみたいなのが続いています。

 まあ、この手の病気持ちの人間としては、「全期間=人間として普通に生活できる期間」に戻ることが理想なんですが、まだ揺らぎがあって、その周期が短いのでなんか困惑している、って感じです。

 ただ、この手の病気を20年近く抱えて生きている人間としては、逆に治癒に向かいつつあるのではないのか?という期待を持ってます。

 なぜなら、過去は、例えば3ヶ月元気だったけど、その後2ヶ月はだめだめ、みたいなのが続いていたのが、その周期が短くなり、かつ重要なのは「ダメダメ度合い」が「浅く」なっている気がするんです。

 この「浅く」なっているのが私にはとても重要で、だんだん治癒に向かいつつあるのかな?という期待が持てるようになりました。

 まあ、とりあえず昨年末から今年に入ってから掘り起こした案件が、受注そして売り上げという具体的な数字になってあがってきたので、まあ良しとしましょう。

 世の中はもっと大変なので、仕事があるということに感謝!

2009年02月12日

【追悼】元同僚が41才の若さで亡くなっていた(絶句)

言葉もありません・・・

本日、私の元勤務先の大阪事務所が移転したことを知り、そこに電話をして当時の同僚と昔話に花を咲かせていたのですが、その時に、

「そう言えば、クニさん、『うなちゃん』がなくなったの知ってる?」

と、聞くではないですか。最初意味が分からなくて、

「なくなった、ってどういう意味?」と聞き直すと、

「昨年の11月に死んだんや、自宅で寝ている間に脳内動脈瘤破裂で。享年41才やて。」

それを聞いたとたん、
「・・・・・・・・・・・」

言葉が出てきませんでした・・・

その後、彼の転職先(私の元勤務先から、私とほぼ同時期に転職した)の電話番号をネットで調べて、電話。

「初めてお電話差し上げます。私國頭と申しまして、元レクロイ・ジャパンという会社で働いておりました。その時の同僚で、Uさんという方がそちらに転職して、昨年11月にお亡くなりになった、という事を聞きました。今日初めて知ったのですが、どなたか事情をご存じの方とお話しをしたいのですが、よろしいでしょうか?」

と言うと、最初に電話に出てくれた女性が「少々お待ち下さい」と言ってくれて、待つことしばし・・・

「もしもし」という男性の声が。

「國頭さん、Oですけど}

「へ、Oくん! あ、そうか、うなちゃんの会社に、ある意味引っ張られる形で転職したんやったな。それで、うなちゃんのことやけど、実は今日初めて知ったんや。」

「え、ホンマですか?じゃあ連絡網から漏れてたんやな。すんません」

「まあ、それはええねんけど、もし詳しい状況を知ってたら教えて欲しいんやけど、ええかな?」

「ええですよ」

と彼。しばし呼吸を整えて、

「昨年の11月ですわ。確か11月7日(金)と思うんやけど、彼と飲みに行って、うなちゃんがなんやらお腹が痛いとか、いう話が出て、『取りあえず土曜日にでも病院行ってこいや』、みたなことをいうたんですわ。うなちゃんは、國頭さんもご存じのように「腹痛い、のど痛い」いうたら、自分で大騒ぎして、すぐ病院に行くようなやっちゃから、とにかく病院行けや、って言うたんです」

「ほんで?」

「で、ちょっと心配やったから、11月8日(土)にうなちゃんに電話したんですわ。そしたら、『Oさん、一応病院いってきたんやけど、『なんか食道やったか、胃やったかになんかありそうやから、入院を勧められたんやけど、取りあえず、薬ももうたら少し楽になったから、マンションに戻ったんですわ』と言うたんですね。まあ、それやったら大事ないやろう、と思とったんです。」

「ふむ」

「それでね、11月10日(月)に出社しよらんかったんです。まあ無断欠勤ですわ。でもその前の金曜日に、腹が痛い、みたいなことゆうとったから、もしかしたらちょっとひどくなって、電話もでけへん状況なんやろう、ぐらいでその日は終わったんですわ」

「まあ、うなちゃんの性格考えると、普通そう思うわな」

「でしょ?でもね、11月11日(火)も連絡なしに出社せいへんのですわ。やっぱり心配になって、俺うなちゃんのマンション知っとったから、訪ねていったんやけど、呼び鈴押しても全然応答せいへん。そやから大家さんに事情話して鍵開けてもうたんですわ。そしたら、うなちゃん寝てんねんけど、変なんやね。で、よくよく見たら死んどったですわ」

「・・・」

「それで大騒ぎになって、救急車呼んだんやけど、結局もう死亡した後で、なんの救命措置もとることがでけへんかったんです」

「・・・」

「で、警察が入ってきて、行政解剖したら、脳内の動脈瘤破裂で、おそらく日曜日は亡くなってたんちゃうかな、ということになったんです。」

「人間ドックは当然受けてたんやろ?」

「もちろんですわ。高血圧でもないし、動脈硬化もないという診断で、そんな病気で亡くなるなんて回りも本人も分からなかったんです。でも、うなちゃんが小学校高学年の時に、お父さんがくも膜下出血かなんか、とにかく脳血管関連の病気で亡くなっているから、遺伝的要素もあったかも知れへんね」

「それで、お葬式とか通夜はどうしたん?」

「うなちゃんは、高校卒業と同時に東京出てきてるから、東京で葬式しょうか?みたいな話はあったみたいやけど、お兄さんの意向で彼の出身地で営まれたんです」

「ぎょうさんきたやろうな」

「もちろんですわ。レクロイの人間も結構来てたし、いまの会社の人間も多数。うちの会社、ご存じのようにドイツ系の外資なんで、ドイツ人も来てました。通夜が11月14日、告別式は翌15日に行われました」

「そうか・・・」

「でね、彼の実家がちょっと東京から遠いから、数日してから東京で『うなちゃんを偲ぶ会」をやったんですわ・・・」

「う、それも連絡なかったな・・・」

「ああ、ホンマすんません」

「まあ済んだことはしょうがないわ。で、誰か家族の連絡先知ってる?」

「ええ、お兄さんなら。なんせ彼んとこ、お母さんも早くに亡くなってて、妹さんはどこかに嫁いではって、いまはうなちゃんの実家はお兄さんひとりなんです。お兄さんも独身やから・・・」

「そういうことは、うなちゃんも独身やったん?」

「そうですわ・・・」

「で、腹いたいって言うとった時に入院してたら、もしかしたら助かったかも知れへんな・・・」

「まあ、そうとも言えますけど、後の祭りですわ・・・」

「・・・、とにかくお兄さんの連絡先、メールで送ってや」

「ええすよ。名刺もらってるからその電話番号とかでよければ」

「かまへん、かまへん。宜しくね」

「分かりました。ほな國頭さんも気をつけて」

「わかった、ありがとう。また機会があったら、会おうや。うなちゃん偲ぶかい第二弾ということで」

「ええですね。連絡待ってますわ」

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事情は飲み込めましたが、あまりにも早すぎる死です。いまはただ、「うなちゃん」の冥福を祈るばかりです。

2009年02月15日

【追悼】うなちゃん、享年41才。安らかに眠れ・・・(8)

 先日書いた元同僚の死は、やはり私の心をかき乱しました。と言うより、どう対処したらよいか分からないというのが本当のところでした。

 共通の友人・知人と彼の死に対して電話越しに語ってみても、涙さえでない。さらに、実のお兄さんと連絡が付き、彼と話しても、彼との思いで話を語り合っても、やはり悲しみが湧いてこない。

 自分の悲しみを感じる感覚はもしかして麻痺してしまったのか?と、すこし思い詰めたりもしました。また、なぜ私に彼の死を知らせてくれなかったのか、それを恨んだりもしました。

 このままでは変になりそうだったので、いつもお世話になっている神経科の医者に予約をいれて、今のこの気持を聞いてもらうことにしました。

 医者には、まず若くして脳動脈瘤で死ぬことがあるのか、聞いてみました。医者は、

「あり得ますね。脳動脈溜は頭部X線CTを行わない限り、発見できません。毎年の健康診断でそれをやるわけにはいかんでしょう。それにもし見つかって手術するとしても、血管にコブができているわけで、通常はクリップ手術といって、コブを挟み込んで、そこに血液が流れないようにして破裂を防ぐ、という方法をとります。ポピュラーな手術ではありますが、リスクが全くないわけではないです。」

 とのこと。つまり血中コレステロールが高かったり、高血圧であったりしても、そうでなくても、脳動脈溜は関係なくできるし、それを発見することは極めて難しく、発見できても完全な手当ができるわけでもない。

「先生、それじゃ41才で亡くなる、というのは、彼の運命だったということでしょうか?」
「そうなるでしょうね。」
「・・・」

「國頭さん、あなた彼の死に何らかの責任があると考えてませんか?」
「いや、そういうわけではないのですが、彼の死に対して悲しみが湧いてこないことにとまどっているのは事実です。」

「なるほど、でももう一度言いますけど、彼の死に対してあなたは全く責任はないですよ。それから、悲しみが湧いてこないのは、あまりにも突然すぎたからですよ。あとは時間が解決してくれます。あまり気に病まないことです。」

「分かりました。でももう一つ気になっていることがあります」
「何ですか?」
「あんなに、Uくんと親しかったのになぜ私の所に連絡が無かったのか、元同僚達に、若干ですが怒りの感情があります」
「なるほど」

 と、ここでしばし、先生も考え込んでから、こう答えました。
「おそらく、國頭さんには誰かが連絡したんだろう、と考えてしまったからでしょうね。」
「でも、彼の偲ぶ会が東京で開かれたんですよ」
「・・・ もしかしたら、國頭さんの健康を気遣ったからかもしれませんよ」
「あっ、私の病気の事を知っていて、病状が悪化するのを恐れた・・・」
「おそらくそうでしょう。あなたの健康状態が悪化することを、そのUさんも望まないでしょう」

 医者の最後のアドバイスで、我に返りました。

「ああ、なんて自分は自己中心的な人間なのだろう。彼の死に、私はなんの責任もないし、連絡をくれなかった同僚達を非難したのは、大きな勘違いだった」

 これですこし楽になりました。

Uくん、いや、うなちゃん。41年間ごくろうさん。安らかに眠って下さい・・・

2009年02月18日

だから労働組合は信用できない(4)

 先ほど、NHKの「ニュースウオッチ9」を見ていたのですが、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じるニュースを耳にしました。未だに怒りが収まりません。

 それは中川外相辞任のニュースではなく、今年の春闘のニュース。

 この時期、自動車メーカーの労働組合が経営側に要求を出すのですが、三菱自動車工業を除く全ての自動車メーカーが「ベースアップ」を要求し、その額が、4,000円だそうです

 何考えてるんでしょうね、労働組合は。ベアを要求して通るわけ無いじゃないですか!よくよく今の経済状況を考えて欲しいものです。

 日本の今の若者は自動車を「所有」するという強い願望が無いし、全世界的に経済が停滞期に入っているので、車そのものがそんなに売れる訳では無い状況の元で、いけしゃあしゃあと「ベア」なんて要求できるもんです。

 それよりも「雇用」を守ることこそ重要でしょう?なんでそれを最優先で要求しないかな???

 私が社会に出て最初に入った会社の労働組合は、旧電機労連(現在は連合の傘下)に属していました。で、新人研修の時に労働組合の人が、労働組合について説明してくれたんですが、彼は最初にこう言い放ちました。

 「私は高卒でこの会社に入りました。ですから、大卒のあなた方が嫌いです。なぜなら、大卒の人は出世が早いからです。で、私は考えました、どうやったら高卒でも出世ができるか。その結論が労働組合に入って活動することです。そうすると、労働組合専従職員を経験した後、会社に戻ると、総務人事部で課長までは昇進出来るんです」

と・・・

 彼の言葉は真実でした。実は私の面接を担当してくれた人事部の課長さんがとある工業系単科大学の出身で、「自分はエンジニアとしては出世できない」と思ったのか、労働組合に入り浸り、結果人事部の課長になり、その後も会社の常務あたりまで出世したみたいです。さらに彼の出身大学で「学閥」まで形成されています。

 何が言いたいかというと、結局労働組合幹部も経営者も「同じ穴の狢」であって、労働組合幹部が、一般労働組合員、つまり従業員を守ってくれる、というのは幻想に過ぎない、ってことです。とりあえず「従業員の為に戦っている」というポーズは見せるけど、結局「苦渋の決断」とか何とか言って、ベアをあきらめる、ってことです。

 だから、連合が支持している民主党を信じることができないんです。連合民主党の最大の支持母体ですから、連合に対して、「そんなアホなこと言うな!」とは言えないんでしょう。

 もし言えたら、少しは民主党を信じるようになれるかな?

2009年02月27日

ギタリストのぎんじねこさんに「清き一票を!」

 私の大好きなギタリストで、YouTubeで活躍されているGinjineko(ぎんじねこ)さんが、「Guitar Idol 2009」にエントリーされるというお知らせをYouTubeからいただきまして、エントリチューンを聞きに行きました。

カッコイイ!

 みなさんで、彼を応援しましょう!ぎんじねこさに投票するには、
http://www.guitaridol.tv/heat_3/entry/_____________-mighty_wing-
にアクセスして下さい。

 投票するには登録が必要ですが、それほど難しくないので、この曲が気に入った方は是非!

 宜しくお願いします!

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